1997年9月 No.88

脳の機能とβ-カロテン、ビタミンEの関係

東北大学農学部食品機能学講座助教授   宮沢 陽夫 

要 旨  
アルツハイマー痴呆者の赤血球膜には過酸化リン脂質が多い。この赤血球の酸化的老化を防ぐ成分としてβ-カロテンが注目される。アルツハイマー痴呆脳の過酸化リン脂質量は健常脳より2〜3倍多く、かつビタミンE値は低い。脳機能障害に脂質過酸化の関与が考えられ、これへのβ-カロテンやビタミンEの防御効果が期待できる。

私達は、生体内の酸化ストレスを知るのに、機能性の膜リン脂質の過酸化産物の分析が重要と考え研究を進めている。幸いにも、過酸化リン脂質(リン脂質ヒドロペルオキシド)の高感度定量法を開発して以来、いくつかの臨床試料を分析する機会に恵まれた。  アルツハイマー痴呆症は脳機能障害の典型といわれる。その発症には、加齢老化で進行する体成分の過酸化の関与の可能性が、従来から多く指摘されていた。  はじめにアルツハイマー痴呆者の血中過酸化脂質を調査した。血漿の過酸化脂質には、リポ蛋白粒子の表面に分布するコリンリン脂質のヒドロペルオキシド(ホスファチジルコリンヒドロペルオキシド:PCOOH)があり、これは健常者と大差がなかった。しかし、赤血球膜の過酸化脂質に大きな差が見出された。健常成人の赤血球の過酸化脂質には、コリンリン脂質ヒドロペルオキシドとエタノールアミンリン脂質*のヒドロペルオキシド(ホスファチジルエタノールアミンヒドロペルオキシド、PEOOH)があり、両者の合計値は37例の平均で280nmol/L packed cellsである。これは加齢と共に増え、80歳の健常老人では平均350nmol/L packed cellsくらいになる。しかし、アルツハイマー痴呆者の赤血球では、PCOOHとPEOOHの合計値が970nmol/L packed cellsと健常な老人より有意に高値であった。ちなみに、64例のアルツハイマー痴呆者の約70%は、赤血球過酸化脂質値が500nmol/L packed cells以上であることがわかった。  一般に、老化して密度の高い赤血球には過酸化脂質が多い。つまり、アルツハイマー痴呆者は老化赤血球を多く持っているといえる。これは、赤血球の新生と老化赤血球処理の能力の加齢による低下が、痴呆老人でとくに著しいことを意味する。赤血球に過酸化脂質が溜ると、赤血球のリン脂質膜に酸素が多くある状態になり、ヘモグロビンからの酸素解離が阻害され、脳組織の酸素不足がもたらされ、結果的に痴呆に結び付くと推定される。 
赤血球の酸化的溶血を抑えるのにビタミンEは有効であるが、赤血球の過酸化脂質の蓄積を積極的に防止できる食品中の有効成分は何であろうか。これをマウスの実験で調べると、その一つはβ-カロテンであることがわかった。すなわち、普通食で飼育したマウスに比べ、β-カロテンの摂取量を増やしたマウスでは、赤血球のβ-カロテン量が増え、これに逆相関して過酸化脂質の著しい低下が認められた(図1)。ヒトの赤血球にもβ-カロテンは存在するので、β-カロテンが赤血球の酸化的老化を防ぐ食品由来の有効成分として重要であることがわかった。β-カロテンの補給による、アルツハイマー痴呆者の赤血球への過酸化脂質蓄積の予防が期待できる。
図1.赤血球のβ-カロテン含量と 過酸化脂質の関係(マウス実験)
アルツハイマー痴呆脳の過酸化脂質はどうであろうか。これまでにも脳のミトコンドリア呼吸鎖でのスーパーオキサイド(O2−)の生成、SOD(スーパーオキサイドディスムターゼ)やアミンオキシターゼによるH2O2の生成、鉄ホメオスタシスの変化による酸素ラジカルの生成、アミロイド前駆体からの活性酸素の生成など、酸化ストレスによる脳の脂質変性の可能性が示唆されてきている。私達の分析によると、ヒト脳には過酸化リン脂質としてPCOOHとPEOOHの両方が存在する。ブラインド試験で小脳を分析すると、アルツハイマー脳の過酸化脂質量は平均で健常脳の約2倍以上であり、さらにこの時、痴呆脳ではビタミンEが有意に少ないことがわかった(図2)。とくに痴呆脳ではPEOOHの増加が特徴的であり、エタノールアミンリン脂質(PE)が過酸化の標的脂質であることがわかった。ちなみに、脳のPE分子にはDHA(ドコサヘキサエン酸、22:6n-3)が構成脂肪酸の15〜25%程度含まれているので、PEは脳の脂質の中でも不飽和度が高く過酸化を受け易い脂質といえる。アルツハイマー痴呆脳の脂質の構成脂肪酸のうちDHAの低値がよく知られているが、これはPE分子中のDHAが過酸化を受けて分解するため低い値を示したものと考えられる。  この時の脂質過酸化に伴うラジカルの生成を抑えるためにビタミンEが消費されるので、痴呆脳のビタミンEは低値を示すと推定できる。さらに、アルツハイマー痴呆者では脳へのビタミンEの取り込みが何らかの阻害を受けている可能性もある。この様な結果は、痴呆脳の抗酸化力あるいは酸素代謝能力が健常脳より著しく劣っていることを意味する。最近、アルツハイマー痴呆者の脳脊髄液のビタミンE含量が健常者より低いことが報告されている。また、米国のグループによってビタミンEの大量投与がアルツハイマー痴呆者の病状の進行を有意に抑制したとする報告もなされている。 
アルツハイマー痴呆に代表される脳の機能障害には脂質の酸化変性も大きく関与していることが理解されつつあり、これに対するβ-カロテンやビタミンEなど食品由来の天然抗酸化物質の有効利用が期待される。栄養指導などで痴呆者の病状の進行を数年でも遅らせることができる様にすることが重要であり、そのための食品有効成分のより一層の研究の進展が待たれる。
図2.ヒト脳の過酸化脂質とビタミンE値

 
 

健康栄養食品セミナー1997 


9月12日に、(財)日本健康・栄養食品協会 主催、当センター共催で上記セミナーが開催された。以下に演者の橋詰直孝先生(東邦大学医学部付属大学病院臨床検査医学研究室教授)及び五十嵐脩先生(お茶の水女子大学生活環境研究センター教授)の講演要旨の抜粋を掲載する。  また、マークエルト・インフェルト博士(エフ・ホフマン・ラ・ロシュ)は、「ヨーロッパにおける1997年の機能性食品および栄養補助食品に関する規制ならびに市場状況」について講演した。 

糖尿病患者の血中ビタミン濃度  
健康人と糖尿病患者の血液のビタミン濃度を比較してみると種々のビタミンが糖尿病患者で低い。特にビタミンB1・ビタミンCの濃度は有意に糖尿病患者で低く、ビタミンB1では健康人でも24%に潜在性ビタミン欠乏症が見られるが、糖尿病患者では54%が潜在性ビタミン欠乏症であった。  ビタミンCの場合は、健康人で6%、糖尿病患者で32%と、いずれも糖尿病患者に潜在性ビタミン欠乏症が多いことが分かった。  原因としては、糖尿病になるとビタミンの吸収が悪くなる、肝臓でうまく処理されない、ビタミンの需要が増大するといった事が考えられるが、もう一つの要因として、食事中のビタミンが調理や流通過程で減少してしまうことがある。 (橋詰直孝) 
生活習慣病の予防には、抗酸化剤の適切な摂取や年齢を経るに従って、より多量な摂取が必要になる。このことは生活習慣病がもたらす様々なストレスを和らげるために、色々な食生活上の工夫が必要なことを意味している。  活性酸素の害を防ぐために必要な抗酸化剤は、@ビタミンE、AビタミンC、Bβ-カロテンを始めとするカロテノイドであり、その他、抗酸化酵素の成分であるセレンなども必要とされる。これらの抗酸化酵素の共同作用で生活習慣病の予防が可能となる。勿論、生活習慣病の原因の全てが活性酸素に由来する訳ではないが、活性酸素の関与が大きいことがこのような観点からの研究を盛んにし、上に述べた抗酸化剤以外の食品中の抗酸化成分の効果も解明されつつある。 (五十嵐脩)
●アルツハイマー痴呆症  初老期から老年期に発症する記憶力低下、情緒障害などの痴呆症状を主症状とし、言語障害や運動機能障害へと進行する痴呆の一形態と考えられている。 
●コリンリン脂質(ホスファチジルコリン:PC) 
●エタノールアミンリン脂質(ホスファチジルエタノールアミン:PE)  生体膜を構成する主要な脂質がリン脂質である。その代表的なものとして、コリンリン脂質(レシチン、ホスファチジルコリン:PC)やエタノールアミンリン脂質(ホスファチジルエタノールアミン:PE)などがある。 PC:哺乳動物組織では、全リン脂質中の30〜50%を占め、生体膜の主要構成成分である。 PE:PCに比べ、多価不飽和脂肪酸含量が高く、酸化をうけやすい。
●ヒドロペルオキシド  −OOHを持つ化合物。上記リン脂質の脂肪酸部分が酸化され、コリンリン脂質ヒドロペルオキシド、エタノールアミンリン脂質ヒドロペルオキシドとなる。

 
抗酸化栄養素と高齢者における
認知障害
−Antioxidant Vitamins Newsletterより− 
 
酸化的プロセスは、高齢者の認知障害に大きく係っているとされている、老化やアテローム性動脈硬化症、特定の神経細胞の損傷等に関係していると推定されている。抗酸化栄養素は、酸化によって起こる損傷を可及的に抑制することによって、認知障害の発生を防止できる可能性があることがすでに提示されている。  オランダ、ロッテルダムにおいて行われたこの研究は、地域社会に住む高齢者(55〜95才)を対象に、抗酸化食品の摂取と認知障害の相関性について解析したものである。食物の摂取に関するデータについては、認知障害が高度に進行していると見られる人達からは、信頼できる情報をその記憶から得ることは不可能であるので、この解析は、正常な人達や中程度の認知障害を持つ人達のみを対象とした。認知障害は、簡便型精神状態検査法によって判定を行い、β-カロテン、ビタミンCやビタミンEの摂取については、食品頻度質問表によって推計を行った。  いくつかの要因について調整を行った結果についてみると、β-カロテンの摂取が低くなるにつれて、認知障害の増進が伴って来る様に見える。ここに示した図の様に、β-カロテンの摂取量が低い人達(〈0.9mg/日)における認知障害のリスクは摂取量が高い人達(≧2.1mg/日)のそれに比べて約2倍高い。ビタミンCやEの摂取は、認知障害のリスクと関連が見られない。  この結果は、高齢者の認知障害に対して、β-カロテンは防御的であることを示している。しかし、著者達は、β-カロテンの摂取量が低いことが認知障害の原因であるのか、もしくは結果であるのか、彼等のこの研究設計では結論づけることができないとしている。今後は、より広範な研究設計及びカロテノイド、ビタミンCやビタミンEの血中濃度の測定によって、抗酸化栄養素と認知機能の相関性が明らかにされることが必要である。 
喫煙習慣とβ-カロテン摂食及び 
血中β-カロテンレベルの関係 
−Antioxidant Vitamins Newsletterより−
 
英国の成人に関する過去に行われた横断的な調査のデータを基に、英国のサザンプトン大学(University of Southampton)の研究者達は、喫煙とβ-カロテン栄養の状態との相関について、解析を行った。7日間の摂取食品の重量の記録、喫煙及び、その他のライフスタイルに関する情報、そして血液サンプルが、1,483人の、年齢16〜64才の男女から得られた。  表1に示した様に、喫煙者は、非喫煙者に比べてβ-カロテンの摂取量や血漿レベルが相対的に低く、この差は統計的に高度に有意である。同じ摂取レベルで見た場合、β-カロテンの血中レベルは、非喫煙者に比べて、喫煙者のそれは多分に低いことが示されている。この結果は、喫煙者においてカロテノイドの摂取が、非喫煙者よりも少ないということを示している他の報告の証拠を確認するものである。この研究の研究者達はまた、身体からの血中へのβ-カロテンの供給を喫煙が低下させるのは、多分喫煙によって抗酸化物質の要求が、引き起こされるためであろうことを示唆している。 表1 喫煙頻度と血漿及び摂取β-カロテンレベル

 
 
高齢者におけるβ-カロテン摂取と認知障害
[Reference] J Warsama Jama, LJ Launer, JCM Witteman et al, Dietary Antioxidants and Cognitive Function in a Population-Based Sample of Older Persons, Am J Epidemiol 144(3):275-280(1 Aug 1996)

〈学会情報〉
●International Symposium on Antioxidant Food Supplements in Human Health(山形)  Oct.16〜18, 1997  Tel:0236-47-3134  Fax:0236-47-3138
●First China-Japan International Conference on Vitamins (Beijing, China)  第1回中・日国際ビタミン学会  (北京)  April.15〜17, 1998  Tel:+86-10-64159181  Fax:+86-10-64155638  日本ビタミン学会事務局  Tel:075-751-0314  Fax:075-751-2870
●3rd International Congress on Vitamins and Related Biofactors  (Goslar, Germany)  June.30〜July.3, 1998  Tel:+49-5316181320  Fax:+49-5316181458


 

心筋病変の発生に関係する 
いくつかの潜在的リスク要因 
−Pufa Newsletterより− 

ホノルル心臓プログラム*(Honolulu Heart Program)における120例の、最小限のアテローム性冠動脈硬化症をもつ日系アメリカ人男性を対象とした剖検の研究から、心筋内病変の発生に関係するいくつかの潜在的リスク要因が調べられた。喫煙やその他の要因、たとえば肥満、運動不足、トリグリセリドレベル、そして三大栄養素やアルコール摂取を含む食生活の要因等が冠状動脈性心臓病の臨床所見では関連があることが指摘されているが、一方でこれらの要因が心筋の傷害やアテローム性動脈硬化症の病理学的証拠とは必ずしも一致が見られないという点について特に注目があつめられた。  米国ホノルルのハワイ大学マノア校のCecil Burchfielとその共同研究者は、喫煙が心筋内病変に直接関係のあることを示したが、一方で魚の摂食では逆の関係があることを示した。この魚の摂食による顕著な防御効果は、基準点において高血圧でなく、そして心筋に何か病変を持っている対象者や病変の小さいヒトたちの相方に見られている。例えば週二回以下しか魚を食べない人々の心筋関連の病変の発生率は73%であるのに対して、週二回以上魚を食べている人々では42%であることを、研究者達は報告している。  同様の防御効果は、試験開始時において喫煙者でなかった人々の間にも見られ、魚を常時食べている人々における小さな病変の発生は顕著に低く、また心臓に何らかの傷害がおきる発病率にもやや有意な差が見られている。その他の要因について調整を行った結果から見ると、年間20箱以上の喫煙の場合、心筋内病変が発生するリスクは50%増大し、一方で週に最低二回以上魚を食べた場合、心筋内病変が発生するリスクは65%低減することが示されている。 その他のリスク要因についても結果が示された。例えば参加者の中で当時喫煙していなかった人々についてみると、動物性タンパク質を大量に摂取していた人々の心筋内病変の発生率は、摂取が低いヒトたちに比べて、顕著に上昇していた。またコレステロールレベルが220mg/dlより低い人たちの間では、心筋に何らかの病変の起こる頻度は、少なくとも一日30mlのアルコールを摂取していた人たちの方が、少ない人たちに比べて、はるかに高いことが示されている。後者の結果は、アルコールには防御効果があるとする他の研究の結果とは一致しないように見える。しかし高いレベルでのアルコールの摂取の場合、例えば不整脈や心室機能障害の様な有害な症状によって、その防御効果が弱められてしまう可能性がある。  全体として、心筋内病変に対して、喫煙と魚の摂食のレベルは、それぞれが独立した要因であることが剖検において示されている。過去の研究においてω-3脂肪酸の摂食と冠動脈性心疾患による死亡率の間に、逆の相関があることが示されていることを研究者達は指摘している。そしてさらに他にもいろいろな相関があることが示唆されている。例えば、低凝固状態の誘発、フィブリン溶解の促進、血小板凝集抑制、血液粘度や血圧の低下、脂質パターンの改善及び不整脈傾向の改善等がある。非アテローム性動脈硬化のメカニズムに関連するものとしては、うっ血や動脈管壁に対する効果が含まれうると研究者達は結論している。  ホノルル心臓プログラムは、日系米国人男性を対象に、心臓疾患および卒中に関するリスク要因の研究を、1965年から展望的に行っている母集団疫学調査である。 
心筋関連の病変の発生率

 
[Reference] *Burchfiel C.M. et al. Ann Epid (1996):6(2):137-146
 

 
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